2011年03月15日

母の機転 じいちゃんの英断

 兄との会話の中でも「アレより全然大きかったぞ」と言う
コメントがありました。大きかったは地震の揺れ、アレとは
33年前の宮城県沖地震です。

 その時、外出すべく外に出てすぐに揺れに遭遇した自分
は、急いで家に戻りました。家の中ではついさっきまで自分
がいた場所に本棚と大量の本が倒れていたのを発見。
子供心に間一髪を感じつつ、家の中のもう一つの被害で
ある床にこぼれた大量のサラダ油(当時はガラスの一升瓶
だった)をタオルで拭いていました。

 団地内のほかの家へ茶飲み話をしに行っていた母も
間もなく血相を変えて帰宅。自分の無事を確認した後に、
二つの事をしました。
 一つは風呂の残り湯に更に水を足し、お風呂一杯の水
を溜めた事です。魔法瓶も水を一杯に満たしていました。
団地の屋上に給水タンクがあって、停電でモーターが止
まっても暫くは水が出る事を母は知っていたと思います。

 で、二つ目は自分にお使いを頼む事でした。

母「油もお風呂もいいから、急いでお使い行ってきて^^」
自分「なに買ってくればいいの?」
母「パン屋さんで、食べたいパンを何でもいいから一杯
買ってきて!」
自分「うん♪」

 今考えると、最近流行りの「買占め」のハシリなのかも
しれません。子供が買ってくるパンの量なので、実際は
全然買占めには及びませんが、判断早く動いたために
店が空いているうちに紙袋一杯のパンを買えました。
自分が買ってきたパンは、その日から始まったライフ
ラインが切断された被災生活にとって重要な食料と
なった事は言うまでもありません。
魔法瓶の水は飲み水、お風呂の水はトイレ用水となりま
した。
今考えても母の機転は凄かったと思いましたが、先週の
金曜日に帰宅した時、コンビニ弁当4つとカップラーメン
4つがコタツの上にあったのを見て、妻の機転も凄いな
と思いました。(一家における2食分だから、買占めなん
て言わないで下さいね。)

 母とはまだ話せていませんが、金曜日はきっと、近くの
スーパーへ父を走らせたのだろうなと思います。
団地じゃ無いので、お風呂の水は一杯に出来なかったと
思うけど。


 話は少し変わります。

 兄夫婦、両親と安否が分かって、次は親戚の安否を
確認すべく電話を続けた結果、日曜日に親族全員の
無事が分かりました。自分達一族は幸せだと思います。
一番気にしたのは、母の実家です。固まって住む一族
の中で一番海に近く、しかも燃えたコンビナートは目の
前です。

 岩手に住む叔母に電話して、母の実家に住む叔父
一家の無事を知りました。一階は浸水したものの、津波
に家が倒れる事は無かったそうです。
 そこで思い出したのは、40年近く前の母の実家の改築
です。改築をする際、じいちゃんは旧家の敷地を1メート
ル程土盛りしました。土盛りする前の低い地面に土台を
作ったので、土台を盛り土が押えた様な構造になってい
ます。建築工学的な知識はありませんが、津波に家が
耐えてくれて、避難したであろう2階まで水が行かなかっ
たのは、今は亡きじいちゃんの判断が正しかった証拠
だと思います。じいちゃんは役人で、トンネル工事に携
わっていたと聞いています。海が近い場所で何をすれば
いいかを40年近く前に考えたのでしょう。そして叔父一家
は命を救われた訳です。

 今の自分に振り返って考えると、な〜んもやってないな、
と反省させられます。本当に何も考えて無かったなぁと
思ったらひとつだけやっていました。
今の借家は、阪神大震災で一つも倒壊しなかった会社に
よるものです。不動産屋からそう薦められて、そこにしました。
もちろん、それが決める大きな材料となりました。
今回の地震の後、大家さんと話した時、その事を再び
聞いて、思い出しました。
 今後も、後に生きる様な選択を、しっかりとしていきたい
ものです。
posted by futre at 16:33| Comment(0) | サッカーなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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