2012年05月08日

ハンドの解釈は「意図的か否か」が大前提でかつ「性善説?」。

 三ツ沢の岡山戦、もやもやしていたのは84分の大久保
のミドルに対し相手が手に当ててボールをクリアした
もの。

 でも、そのもやもやが奇異な縁で徐々に晴れていく。
それは、前節の北九州戦、よりによって岡山戦にて
「被害」を被った大久保が相手のヘディングを手に
当ててしまう。そしてそれもノーファウル。

 競技規則は度々手にして勉強していた自分ながらも、
言わば「不自然な位置に手がある」様に思えるこれら
のハンディングっぽいプレイがシロとなる事例が重なる
事で、ハンドの定義が大きく揺らいでしまった。
慌てて、今年版の競技規則を購入し読み直すが、ハン
ディングについての定義は変わらず、新たな提案もない。

 それでは、と昔の事例を紐解くと、あったあった、
ありました。2005年、福西によるゴールがこれらの
謎を解く鍵と考えました。手に当たりゴール。有り得ない
ものがそこにある訳です。当該主審の岡田氏は手に当
たった前提でゴールを認め、審判委員長とモットラムさん
もその判定を支持したその理由は大前提である「意図的」
では無いと言う判断によるもの。そこに手がある事は
ジャンプのバランスを取るためでボールを当てる目的
では無いという解釈によるもの。20年前の審判が聞いたら
卒倒しそうにも思えますが、確かに今の解釈はその
通りです。福西をシロとすれば、岡山の某選手もシュート
が放たれた瞬間にその腕でコーチングをしていたとす
れば「意図的では無くかつ自然な位置に腕がある」と
考えられます。北九州戦の大久保についても相手選手
と高さを競るため振り上げた腕とするならば、同じ
解釈が出来ます。

 そう言えば?と思い出した事例がもう一つありました。
2008年、GK本間のキックを手で払い前に出したボール
を決めた難波のゴールです。先の解釈を当てはめると
これもシロとなるのです。なるほどなるほど。4年ぶり
にこちらもスッキリしました。一連の選手の意図
は本人にしか分かりません。なので主審が意図を
くみ取るのですが、これらの事例は性善説にも
感じられます。

 ルールとは巧妙に出来ていて、じゃあセットプレー
の時に壁となる守備側の選手が全員バンザイしていいのか
と言えば、これはダメでしょう。なぜならバンザイする
必要性が説明できない以上、不自然な位置に手があると
判断されます。

 そして、これらの様なプレイが頻発しない理由は、
意図的であるか否かの判断は主審や副審の主観に委ねられる
個人差があるものであるため、不本意なハンディング
を避けるために守備的な選手はボールに手を出さない
様に意識してプレイしているはずです。
W杯など世界大会にて、退場を覚悟して手を出す事
もありましょう。手を出さない事、そして手を出す
事もプロ根性なのでしょうね。
 少し頭がスッキリしました。
posted by futre at 00:33| Comment(0) | サッカーなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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