2007年11月19日

アイルランドの伊達男は今。。。

「この25年で複数の勝利を挙げたチーム
は5つしかない。フェラーリ、マクラーレン、
ウィリアムズ、ルノーそしてジョーダンだ。
これが現実だ」

 これは我らがジョーダングランプリ元
オーナーのエディ・ジョーダンの言葉。
新規再参戦を模索なんて噂も多く聞か
れたエディ・ジョーダンですが、最新の
インタビューではF1界からの引退を
ほのめかす発言に変わっている様です。
 F1では十分な成果をあげたと自賛
する根拠として掲げたのがこの言葉
となります。
 私の灰色の記憶の中でもここから
スチュワートレーシングの1999年
ヨーロッパGPでの勝利が抜けていると
分かるので、実際は(今で言うところの)
フェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズ、
ルノー、レッドブル、そしてジョーダンと
なるのですが、ここはレッドブルより
ジョーダンGPのほうが成果をあげた
のだ!と主張したいエディがわざと
レッドブルを外したのでは?と思いま
す。さらにはスチュワートは同時期の
同じプライベーターだったのでその
ライバル心もあっての事かもしれません。
 あ、そうだ、ロータスもセナで勝ってる。
リジェもパニスで勝ってるし。。。
(それぞれ後継チームは消滅していますが)

 いい加減な奴め。まったく(笑)

 ジョーダンGPが最も輝いていたのは
1999年、2000年(合計3勝)ですが、
やはり私には1991年の参戦初年度が
一番印象に残っています。
F1設計経験の無いデザイナーがデザイ
ンした1990年代最も美しいシャーシ。
風洞実験は大学の設備を借りると言う
部分的なアマチュアリズム。史上最も
モノコックシャーシを壊したドライバー
と予備予選落ち回数なら5本の指に入
るドライバーのドハデなコンビ。
レギュレーション違反のウイングでテス
トのベストタイムをたたいたり、本戦に
Qタイヤを履いて(と噂された)のベスト
ラップをゲットしたり、更には合間の
いかだレースに本気モードで優勝を勝
ち取るなどのパフォーマンス。そのパ
フォーマンスによってか徐々に増える
スポンサーなど。。。
刺激的で、かつどこか横浜FCともかぶ
るジョーダンのパフォーマンスを是非
ほかのカテゴリーでも見たいところなの
ですが。。。この男の次は何を目指す
やら。ファンとしては楽しみです。
この記事へのコメント
futreさんはジョーダン好きだったんですか。
私も大好きで、正月はF1のジョーダン福袋とか買いましたよ。
当時F1経験はありませんでしたが、彼の作るマシンは美しく、しかも堅実なデザインには定評がありました。
チェザリスはジョーダンでも速かったですし、いい意味で壊し屋の名折れでしたから。

でも横浜FCとは似てない気がしますよ。

エディの発言がいつのものかわかりませんが、スチュワートは一回しか勝利していないので、レッドブルは違いますよ。
ロータスはイギリス系メーカーなので、アイルランド人はライバル視しますからねぇ。
リジェはパニスが勝つまでは70年代位までさかのぼらないといけないですから記憶から抹殺されているのでしょう。
ルノー。。。謎です。
まぁそのアバウトさ、豪放さが彼の魅力ですからね。

ジョーダン、いやスパイカーは来年からは「Force India」になるみたいですし。複雑です。
Posted by おかき at 2007年11月20日 05:58
あ、ルノーは発言してたんですね。
失礼しました。。。
Posted by おかき at 2007年11月20日 06:00
おかきさま

いつもお世話になっております(^-^)
ジョーダン、好きです。と言うかチェザリスファン
なので、彼の人生を変えてくれたジョーダンに
感謝しています。
1991年シーズンは本当に印象的な年で、確か参戦
前のジョーダンのシートはガショーが確定。で、
もう一つがTBAのままでシーズンイン直前にチェザリス
が滑り込みエントリーしたんですよ。その情報が
トーチュウにも他の新聞にも載らずにいきなり
「ポールポジション」(フジの深夜番組)ですっぱ
抜かれて、見ているこちらの腰が抜けました(^^;)
ヤマハの92年は置いといて(苦笑)、ハートエン
ジンとバリチェロを擁した93、94年も楽しかったなぁ。
ベンソン&ヘッジスを得て黄色いチームになったあ
たりからが本当の黄金期でしょうか。エンジンに
よって成績が左右されるF1においてはロータスや
ティレルといった古豪すら厳しい環境にあったのに
ジョーダンの様な新興チームは何倍も苦労したと
思います。ありがとう、エディ!

(ご指摘ありがとうございます。調べたらその通りでした(汗))
Posted by futre at 2007年11月20日 12:30
チェザリスファンですか。渋いっすね。
ジョーダンが彼を選んだのは、親父さんか
叔父さんがイタリア・マルボロの重役で、
資金が潤沢だからって話を雑誌で読みました。

ハートチューンのエンジンとバリッチェロで苦闘するのは格好よかったですね。
B&Hの黄金色はダサくて酷かったので、黄色は正解ですね。
ヤマハ時代は案外面白くて、オイルメーカーのサソルがスポンサーなのに、中身は実質BPだったりとか。
毎度のごとくオーバーヒートとパワー不足のマシンは完走がやっとでしたしね。

あ、でもアイルランドの伊達男で最初に思い浮かんだのはエディ・アーバインですよ。
"そっちの"エディです。

実は91年に191に会った事ありますよ。鈴鹿前か夏休みかで、名古屋にF1マシンが何台か来てました。
そこで191のテレカとかもらいましたし、まだ実家にあると思います。
Posted by おかき at 2007年11月20日 19:10
おかきさま

チェザリスは確かにボンボンでしたね(^^;)
もっとも中嶋や亜久里を含め、ドライバーの殆ど
は水準以上の裕福な家庭に育った人が殆どでした
が、彼はマルボロの息がかかったと言う意味では
より恵まれた環境にあったと思います。空前絶後
のF1参戦208連敗(優勝0)を達成出来たのもマルボロ
さんのおかげですが、私がファンになったきっかけ
の1989年のカナダGPの表彰台など、すごく稀な条件
でハマった時の速さは魅力です。1991年のベルギーでは首位を走るセナにミッション
トラブルが発生し、2位で追い回す彼の勝利を確信
した事もありました。一年限りのジョーダンでした
が1992年はティレルで結果オーライだったし、以降の
代打屋(スポット参戦で入賞を重ねる)家業に繋げら
れたのですからね。ジョーダンに感謝しています。

アーバインもアイルランドでしたね(^^;) 彼の様に
全日本(F3000、Fポン)を戦ったドライバーはみんな
好きですよ。ファーマン、アピチェラ、ラッツェン、
ジェフ、ダンブレック、ロスチーバー、ミカサロ、
フィレンツェン、マウロマルティニなどなど。
シューを全日本出身とするかは議論が必要ですが、
シューを除けばアーバインが全日本OBで一番F1で
活躍したドライバーなのでしょうか。若かりし頃
の態度からはとてもシューのサポート役が務まる
とは思えませんでしたが、今の彼の評価は「最も
優れた2ndドライバー」となるのでしょうかね。。。
ジョーダンとも馬が合っていたみたいだし、
今度は是非ジョイントで何かやっても面白いかも。
パリダカにチームジョーダン参戦で、ドライバーが
アーバインってのはどうでしょう?
Posted by futre at 2007年11月21日 09:59
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